西洋骨董時計店 ドイツアンティーク柱時計の世界

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グスタフ・ベッカー Gustav Becker

グスタフ・ベッカー Gustev Becker 掛時計 柱時計 ロゴ

1847年4月、グスタフ・ベッカー(Gustav Becker, 1819-1885)はシレジアのフライブルグ(現在のポーランド、シュフィエボジツェ)にてわずかな人数の技術者と共に時計店を始めました。彼はそれまでにドイツ・オーストリア・スイスの時計メーカーを転々として知識と技術を蓄積していて、特に1800~1850年頃の時計製造技術の中心であったウィーンでの経験が、グスタフ・ベッカーというブランドを築く動機になったそうです。当初は資金難で、あまり多くの時計を作ることはできませんでした。そのような状況の中で、ブレークスルーとなったのが、1852年のSilesian industrial exhibitionにおける金賞受賞でした。その結果、グスタフ・ベッカーの時計が大衆に認知され、さらに技術への信頼も得ることが出来ました。後に、このときの金賞のマーク、それに有名な碇のマークが、グスタフ・ベッカーのトレードマークになります。1850年代には公社との大口契約や富豪からの融資を受けたおかげで時計の生産は拡大していきました。1860年代にはそれ以前のシンプルな振り子時計から、豪華な手彫りの装飾があるケースに高品質な機械をのせた高級時計を作るようになりました。グスタフ・ベッカーの時計は、ロンドン・パリ・シドニー・ベルリン・メルボルン・アムステルダムなど各国各都市の博覧会にも出品され、多くの賞を勝ち取ったことも記録されています。グスタフ・ベッカー Gustav Becker 柱時計 掛時計

1880年代になるとグスタフ・ベッカーは、ドイツのシュバルツバルトの時計メーカーとの激しい競争を強いられるよ うになりました。当時、シュバルツバルトにはゼンマイを使ったシンプルかつ安価な時計を作る工場が増えていました。そのため高価な時計は売り上げが激減 し、グスタフ・ベッカーもこれに対抗するためゼンマイ式の機械とシンプルなケースの時計を製造し始めました。
ますます競争が“黒い森”勢との競争の中で生き残りを図るため、1899年シレジアの幾つかの 時計会社と共にグスタフ・ベッカーが中心となったVereinigte Freiburger Uhrenfabriken AktiengesellschaAG(VFU、和訳すればフライブルグ共同時計製造会社と言ったところ)を設立しました。VFUには下記のように時計会 社や家具メーカーがありました。

グスタフ・ベッカー Gustev Becker 家具メーカー 柱時計 掛時計

コンコルディア(Concordia)のマーク UCEGはUhrenfabrik ConcordiaとEingetragene Genossenschaft mit unbeschränkter Haftpflicht(ドイツの会社形態の一つ)の略

Ender & Co (1865~), Germania (1871~), Boelch & Jackel (1871~,家具), Willmann & Co (1872~), Sabarth (1873~), Heize & Co (1874~,家具), Concordia (1881~), Kappel & Co (1882~), Borrusia (1888~), Carl Boehm (1895~), Victoria (1899~,家具)

1880-90年代のグスタフ・ベッカーには希に背面に六芒星の中央にAの文字の印を見ることがあります。これはアドルフ・シュテルン(Adolf Stern)という会社の印で、ケースをグスタフ・ベッカーに提供していました。アドルフ・シュテルンはカール・ヴェルナーにもケースを供給していたことがあるようです。この印のある時計には良質のウォルナットが使用されていて時代を経たよい味を特に出しています。

上述の共同時計製造会社では大小様々な時計を製造しましたが、1925~26年に財務面で克服できないほどの厳しさに直面することになり、1926年7月にユンハンス、ハンブルグアメリカンと共に再び企業連合を設立しました。この企業連合も1930年にユンハンスに買収されることになり、これでグスタフ・ベッカーが会社としてなくなります。これ以降もグスタフ・ベッカーのブランドは残りますが、第2次世界大戦への突入と共になくなりました。

グスタフ・ベッカー Gustav Becker ケース製造のアドルフシュテルンのマーク

アドルフ・シュテルン(Adolf Stern)の印。Musterschutzは意匠保護の意味。

筆者の印象
「世界中のコレクターが認める品質」

グスタフ・ベッカーと言わずと知れた優れた品質・意匠は世界中の多くのコレクターに愛されています。特に1880年代までの時計のケースには木彫や寄木細工が随所に施されていて丁寧に作りこんであるのが分かります。また、木材も堅く詰まったものを使用していて同じサイズの他メーカーの時計より重く感じます。また打ち方の音色が綺麗なものも多いように思います。1900年代のフリースウィンガーでクラウンがありませんでしたが、ご来店のお客様が音色に聞き惚れてすぐにお買い上げいただいたこともあります。

写真左の時計は幅も高さもある大きな外観に、濃いダークブラウンも相まってとても迫力あるように見えます。グスタフ・ベッカー Gustav Becker 柱時計の写真3グスタフ・ベッカー Gustav Becker 柱時計の写真2グスタフ・ベッカー Gustav Becker 柱時計の写真1装飾振り子にはスワンがデザインしてあるためワンポイントで愛嬌を感じさせます。ケースもとても重く作りも丁寧です。写真右の時計は良質のウォルナットが使用されており手彫りの柱や土台下面の彫りなど手のぬくもりを感じさせてくれる時計です。機械もシリアルナンバーから1870年代と推定されます(ただし普及しているシリアルナンバーと年代データが一部怪しい箇所があるとの話もあります。)。

 

 

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西洋骨董時計店リニューアルしました。

3本分銅アンティークビエンナ! 西洋骨董時計店のホームページをリニューアルしました。管理者の多忙と怠惰のために更新が滞っていましたが管理がしやすいシステムを導入しました。今後とも宜しくお願いいたします。

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